2026(令和8)年2月下旬、〝導かれて〟の誉田八幡宮参拝時、
授与所で宮司さんとお話させていただき、朱印をお願い致しました。
その時、授与所の窓口に立っていたのが、この矢でした。
朱印を書いてくださっている宮司さんに「この矢、未だありますか?」とうかがったら
「う~ん、あと2~3個あったよ~なぁ。」
って探してもらいました。
誉田八幡宮を、ほぼ独占状態でしたので、ゆーったりとした時間が流れ、朱印を2種類と、この矢を頂戴しました。
絵馬には「開運招福」の文字と、
白い神馬が描かれていました。
そして「譽田八幡宮御守護」の札が。
破魔矢だと、長いのでもらいませんでしたよ。
小さかったから、『羽曳野市史』の入った袋に入れて持ち帰ることができたのです。
一見して「これだっ!」って思いましたもん。
掌(てのひら)サイズです。
この「譽田八幡宮御守護」の神矢をいただいた後、誉田御廟山古墳には訪れることができなかったため、古墳に向かって「また、参拝します。」って言ったら
「また、来いよっ」と、言われたような気がしました。
「八幡神」こと誉田別命(ほんだわけのみこと)、すなわちヤマト政権の応神天皇の神霊からのお言葉のようでしたよ。
高々〝矢を象った置物〟と思うことなかれ。
これにより「河越御所」は、八幡神から〝武威〟を賜ったのです。
午前中からの行程、つまり壺井八幡宮/壺井権現社→通法寺跡(源頼義の墓)→源頼信・源義家の墓→羽曳野市役所→誉田八幡宮という、河内源氏の故地とヤマト政権所縁の地を巡ったのですよ。
この翌日、再び大阪歴史博物館を訪れ、本物「天光丸」と再会を果たしました。
その話は、また別の機会でね。
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