歩いてね、壺井八幡宮から近鉄・南大阪線「上ノ太子」駅に到着しました。
前日の大阪歴史博物館で特別展「河内源氏と壺井八幡宮」の図録が無かったこと、壺井八幡宮の授与所で刀守を入手できなかったこと・・・という今回の摂津国・河内国遠征の目的が達成できなかった。
このままでは武蔵国河越に帰還できませんわ。
そんでね、図録が無いのであれば
『羽曳野市史』を購入しよう
っとなりましてな、「上ノ太子駅」から「古市駅」まで移動しました。
羽曳野市役所を目指したのです。
一応、Googleマップを参考にしながら進んだのですが〝曲がるところを間違えて〟しまい、市役所とは全然違うところを歩いておりましたの。
古墳や遺跡があり、それらを楽しみながら歩いていたのですが、途中で〝おかしいな〟って気付きまして、駅に戻りました。
細い道に「羽曳野市役所はこちら」という目立たない看板がありましたので、その方向に進んでいきましたよ。
10分くらいと言うのですが、もっとかかった様に感じました。
羽曳野市役所に到着。
総合窓口に「羽曳野市史を購入したいのですが、何処にいけばよろしいでしょうか?」と問うたら、別館に向かうと担当があると教えてもらいました。
また歩いて羽曳野市役所別館に到着しました。
羽曳野市役所別館の総合受付で、再び『羽曳野市史』について問い合わせ、担当部署を教えてもらいました。
事前に連絡なんてしない〝飛び込み〟でした。
それでも職員の方々が丁寧に、色々と対応してくださいましてな。
『羽曳野市史』+史料集、計6冊を購入しました。
2万6千円かかりましたが、イイのです。
今回の摂津国・河内国遠征では土産などを買いませんでしたし、これから壺井について詳しく調べることができますのでね。
ただ、重たかった(笑)。
古市古墳群の写真がプリントされている手提袋2つを抱えて移動することになりましたの。
午前中から歩き通していましたし、15時をまわっておりました。
ちょいと早いけれども宿に戻ろっか!って「古市駅」に向かったのです。
そしたらねっ・・・視界にどぉ~んと「誉田八幡宮はこちら」の案内板が(笑)・・・。
誉田八幡宮・誉田御廟山古墳が近くにあることは知っていましたよ。
でも、疲れているぢゃん、重たいぢゃん。
また、今度ねって思っていました。
こちらの状況なんて、関係無いのですよ(笑)。
こういうのを〝呼ばれた〟というのでしょう。
Googleマップなんて、見てもいませんでした。
何となく歩いていても、ちゃんと辿り着きましたもん。
誉田八幡宮の「南大門」だそうです。
紋の向こう側に本殿らしいものが見えていません。
南大門って言うから、誉田八幡宮の正面かと思ったのですよ。
誉田八幡宮の正門って、東門なのだそうですよ。
誉田八幡宮の南大門は、神宮寺だった護国寺の門なのだそうです。
導かれた割りには〝横っちょ〟の門から入れってか?・・・まぁ、イイのです。
誉田八幡宮は、初めてなのでね。
四脚門ですが、柱は礎石に乗せられているものでした。
柱の根元が腐食しない様に、銅板が撒かれていますね。
門を長く遺そうという意図が伝わってきますね。
巧みに木材を組み合わせていますね。
立てにひび割れが見えていますが、これは「干割れ」(ひわれ)といって乾燥収縮の結果なのです。
乾燥したことにより、柱の強度が増したことを意味しているので問題は無いのですよ。
門扉には、大きめの鋲が打ち込まれています。
この南大門は、羽柴秀頼(豊臣秀頼)が片桐且元に再建させたものでした。
この鋲は、釘隠しとしての装飾であると共に、魔除けや威信装飾という側面もありました。
しかし豊臣家の滅亡により、普請は中断してしまいました。
その後、徳川家光の治世に引き継がれ、豊臣期の部材も利用されたそうですよ。
門に掛けられた注連縄と紙垂です。
境内から流れてきた風で、紙垂が棚引いています。
向かい風(笑)で、浄められている感じ。
南大門を潜って、手水舎へ向かいます。
蓋が掛けられています。
蓋が掛けられていて、水面(みなも)が見えないのですが
龍(ドラゴン)が水盤(手水鉢)に身を乗り出しています。
龍(ドラゴン)が水盤(手水鉢)に頭部を突っ込んでいる感じ。
龍(ドラゴン)の表情を撮ろうとしたのですが、顔を枠の中に突っ込んでいるのでダメでした。
龍(ドラゴン)の手が、何とも力強いこと。
手水所を離れたら、狛犬がおちましたので撮りましたよ。
誉田八幡宮の本殿は、南大門から入ると左手にありました。
ですから、正面の方へ回り込みましたよ。
誉田八幡宮の正面入口は「東門」なのだそうです。
駐車場スペースから、鳥居を見ています。
なかなか広い境内ですね。
もっと鳥居に寄っていきます。
正面に見えるのが「中門」、その先の森に「本殿」が御座します。
画像には入っていませんが、右手側に誉田御廟山古墳があります。
この日は、朝からずっと晴天でした。
天照大神のお陰で壺井八幡宮→羽曳野市役所別館→誉田八幡宮へと、かなりの距離を歩くことができましたよ。
博物館が休みだったことで「壺井の日」にしたのですが、結果的に「八幡宮の日」になっていました。
中門・本殿へ向かっていくと、右手側に
羽曳野市が保存樹に指定した「フジ」が生えていました。
凄く存在感があるの。
壺井八幡宮の「楠」。
誉田八幡宮の「フジ」。
大きさではなく、存在感+αが備わっていますよね。
保存樹「フジ」を横から見ています。
初めてでしたからね、お姿を拝見するだけでした。
根元のところ、自生なのか、位置的に植えられたのかは不明ですが、魔除けの「南天」がおりましたよ。
保存樹「フジ」の前には、石棺の天井石でしょうかね。
古墳がたくさんありますので、何処かから持ってきたのでしょう。
保存樹「フジ」の後ろには
「放生池」がありました。
埴輪が立てられているところが古市古墳群であることを物語っていますね。
中門・本殿に向かっていると
大きな石が、横たわっていました。
どこぞの古墳で使われていたのでしょうね。
余所見していると日が暮れてしまうので、進みますね。
「南大門」から入ってくると、だいたいここら辺に出てくるんですよ。
狛犬が迎えてくれます。
「中門」だそうです。
門だって・・・。
それぞれで構造や個性がありますからね。
中門に入るところです。
左側が授与所で、宮司さんがおられました。
先の本殿へ拝礼したら、右側に午年限定朱印の説明がありました。
宮司さんに、午年限定朱印と通常の朱印をお願いしました。
ちょっとだけ話ましたが、とても印象のよろしい宮司さんでしたよ。
「また、お参りさせていただきますね」
って言ったら、笑顔で応えてくださいました。
何と心地良い八旛宮なのでしょう。
「中門」から出て、ふらりと歩いていたら
誉田御廟山古墳へ続く道がありました。
この道、進んでいきたかったわぁ。
でもね、夕方近くになっていたのです。
そろそろ、宿に戻らねば・・・。
導かれて来たので、道は覚えていませんの。
暗くなったら、迷子になってしまいます。
向こう側(誉田御廟山古墳)に拝礼し、「また来ますね。その時にお参りしますね。」って告げました。
そしたらねっ、「おぉ、また来いよぉ!」っていう返事が聞こえた様な気がしました。
「誉田八幡宮の層塔」という案内板に〝十三重石塔婆〟という記載がありました。
現在は、十三層もありませんよ。
向こう側(誉田御廟山古墳)から雲が上がっているかの様でした。
何を物語る雲なのでしょうね?
境内を出る前、午年限定朱印の説明にもあった「神午」を愛でました。
赤い馬着(ばちゃく)を纏っていました。
午年限定?なのでしょうかね。
「神馬」の正面②廻ってみました。
凄い躍動感が伝わってきましたよ。
反対側にも、回ってみました。
ホント、生きているみたいでしたよ。
思いもよらず「壺井の日」が「八旛宮の日」になっていました。
壺井八旛宮で河内源氏の「武威」を
誉田八幡宮で応神天皇からヤマト政権の「武威」を
賜った感じでした。
この強力な「武威」の二重奏を獲得したみたいです(笑)。
これが、単なる思い込みではなかったのですよ。
それは、また何れか機会があればね、お話しますよ。
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